だらけきったメンズのぶろぐ

〜だらけた男の成長の軌跡〜

山本KID徳郁という男

神の子、山本KID徳郁、死去。

格闘技界に衝撃のニュースが流れました。

神の子と呼ばれた男、山本KID徳郁さんが41歳という若さでこの世を去ったのです。

一時は総合格闘技ブームを牽引し、格闘技界を盛り上げた男。そして、どこまでも挑戦し続けた男。

山本KID徳郁という男はどんな人物だったのでしょうか。

アスリート一家。山本家

山本KID徳郁レスリング日本代表の山本郁栄を父に持ち、姉の美憂、妹の聖子は共にレスリング世界選手権を制覇。さらに総合格闘家山本アーセンは甥にあたります。

幼い頃はレスリングをしており、アメリカで修行。大学では日本に帰国し、全日本学生レスリング選手権大会で優勝するなど実績を残しています。シドニーオリンピックを目指していたが、全日本レスリング選手権大会で優勝できずオリンピック出場はできなかったようです。

総合格闘技との出会い

総合格闘技を始めたのはオリンピック出場ができなかった頃と同時期で、姉から総合格闘技のビデオを見せられたのがきっかけだそうです。

総合格闘技ではその天才的な格闘センスで次々と輝かしい成績を残す一方で、レフェリーの制止を無視して対戦相手を殴り続けるなど素行が悪い部分もありました。

開始4秒、左跳び膝蹴り失神KO

私が見た彼の試合で1番印象に残っている試合です。今でも映像が頭の中で思い出せます。

2006年5月3日、HERO'Sで宮田和幸と対戦したあの試合。山本KIDは試合開始のゴングと同時に宮田に向かって走りながら左跳び膝蹴り。何が起きたのかわからない様子で起き上がろうとする宮田をパンチで制し、失神KO勝ち。宮田は下顎骨を骨折する重傷でした。

開始4秒でのKO勝利。

当時まだ小学生だった私は圧巻の勝利に興奮し憧れたのを今でも鮮明に覚えています。

晩年の戦績

私の中では強い山本KIDの印象というものが強烈に焼きついています。自分よりも体の大きな選手を相手にしても、その圧倒的な格闘センスで勝利してきたのを見てきたからです。

私自身がテレビをほとんど見ていなかった時期があり久しぶりに山本KIDの試合をみたときはショック受けました。私の中に残っている印象とは違ったからです。怪我をしていたこともあってか、以前のような動きはできていないように見えました。本人もたぶんわかっていたと思います。そのとき私は勝てなくても挑戦し続ける彼を、山本KIDを応援しようと思いました。

まとめ

山本KID徳郁。格闘技一家に生まれ格闘技一筋の人生を送った男。生まれてから死ぬまで戦い続け、挑戦し続けた男です。そんな男が今日、41歳という若さでこの世を去りました。多くのファンに愛されていた山本KID徳郁さん。自由な生き方には批判もありましたがその真っ直ぐな姿は1人の男として、私の目にはかっこいい姿のままうつっていました。もう試合を見ることはできなくなってしまいましたが、私はこれからもファンであり続けたいと思っています。

 

ご冥福をお祈りいたします。